速報【村田諒太vsゴロフキン】<ボクシングWBA、IBF世界ミドル級王座統一戦12回戦>◇9日◇
こんにちは ぼら です
胸が熱くなり感動を抑えきれなくて文章にします!
そんなに詳しくはないですが ボクシングは子供の頃から世界戦を家のTVで父親が見てましたので何気に見ていました
「ちょっちゅね」の 世界の冠鷲具志堅用高 さんの時代ですね
スポーツ中継が最近では有料放送化している傾向(これには色々なご意見があると思いますが・・)で今回も アマゾンプライム での放送となりました
相手はこのミドル級クラスの生ける伝説 ゲンナジーゴロフキン 村田選手惜しくも9回ノックアウト負けの試合となってしまいました 残念
試合経過の中で何度も「もしかして いけるかも・・」という期待を何度も何度も作り出してくれて最高の試合でした・・今回もと言いますのも村田選手の試合は常に勝敗度外視したところで僕たちファンの心を鷲掴みにしてくれるのです
何故?
彼の生きざま人柄そのものが人生の縮図として試合に現れるのです
確かNHKでの特集番組での一コマだったと記憶していますが
その中で彼は現在の心境を語るシーンで「辞めたい」「嫌になる」「恐い」などの僕たちボクシングファンからすれば最強を追い求める姿からは想像出来ない言葉を赤裸々に発します 失礼ながら一歩前に進む事への見えない未来への不安を僕のような凡人と同じく感じていらっしゃるのです
人生の迷いの中で村田選手のお父さんから一冊の本が送られてきたそうです
僕も初めてその存在に触れました 気になって買って読みました
あらすじ
第二次世界大戦の最中 ナチス政権により行われたユダヤ人ホロコースト政策によって実際に捉えられ収容所へ連行された著者が書いた体験記です
偶然の産物でしょうがその著者は心理学者でありその視点から構成された文章が非常に興味深い作品です
極限状態にまで追い込まれた 人間の汚さ そして 人間の美しさ を学者という観点からある意味冷静つぶさに観察記録の形で表現しています
村田選手はこの書を人生の指針と為されていらっしゃる様です 「戦う哲学者」 と言われる所以みたいですね
僕はこの本の中でこの一節が気に入ってます
生きる意味を問う
ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。
わたしたちが生きることから何かを期待するのではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、
ということを学び、
絶望している人間に伝えねばならない。
哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うのをやめ、
わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。
生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。
わたしたちはその問いに答えを迫られている。
考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。
生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、
生きることが各人に課す課題を果たす義務、
時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
村田選手はどこの一節がお気に入りなのかな~?
村田選手今はゆっくり休んで そして 日本にまで来てくれてありがとうゴロフキン選手
この試合 「あっぱれ🏆」 しかないでしょう
それでは・・